【元教師が解説】学校のいじめが解決しない理由。法やマニュアルは有効か?

学校でのいじめが社会的な問題として取り上げられる度に、

  • いじめに関する法律(いじめ防止対策推進法)が守られていたか?
  • いじめ対策マニュアルに準じていたか?

などが議論されます。当然、定められたルールが守られていたかを見極めることも大切ですが、法やマニュアルに従うだけでは、いじめが無くなりません。

その理由は、歴史を少し学べば誰でも十分納得できるはずです。

そこで、今回は、

法やマニュアルが整備されているにも関わらず、
なぜ学校からいじめが無くならないのか?

について考えてみたいと思います。

私が学校現場で働いていた時の経験と歴史的なことを踏まえつつ解説します。

 

目次

【1つの事例】人は誰でも自分のことを優先させてしまう?

「教師はいじめを隠蔽する」なんて言われることがありますが、あなたが次の様な立場だったらどんな行動をとるでしょうか。

  • 定年退職まで残り期間が6ヶ月の学校長
  • 退職金はおよそ2200万円
  • 校内でいじめらしいものが発覚

この様な状況で「残念ながらいじめが発覚し、大変な状況になりました。全責任は学校長にあります」と発言できるでしょうか。

もちろん、「いじめ」があったからと言って、真面目に仕事をしていたのであれば、学校長が辞職に追い込まれることはありませんが、「とにかく平穏無事に退職したい」と誰もが思うのではないでしょうか。


この様な気持ちは分かりますが、果たしてそれが子どもにとってプラスになるか?ということを真剣に考える必要があります。

実は、私は学校現場で、退職を目前にした学校長の元で仕事をした期間がありますが、この期間の仕事は、非常につまらないものになってしまいました。

それは、

  • 運動会で組体操は辞めよう
  • 雨の中で、部活動をするのは辞めよう
  • 教科書・指導要領外のことを指導するのは辞めよう など

とにかく、平穏無事に日々を過ごす方針になり、常に次の様なことを言われていました。

御立場先生
御立場校長

いろいろあった教師人生だった。

もう最後の年だから平穏無事に一年を過ごしたいなぁ。

少し冷静に考えると、

校長が退職の年かどうかなんて子どもには一切関係ない

ということは、簡単に分かることですが、ベテランの校長先生であっても、このタイミングでは、大事な部分を見落としてしまうということが分かったのです。

結局、この無難な方針に対して私は何度も意見を言ってきましたが、聞き入れて貰えませんでした。

ここで挙げたのは、私にとって身近な事例ですが、やはり人はどうしても本能的に自分優先な思考になってしまう側面があるということを感じた瞬間でした。

つまり、ニュースなどで話題になる「いじめの隠蔽」の原因は、

保身的な考え方。自分が子どもよりも優先。

が、根底にあるのでしょう。

そして、ここで、改めて大人が考えないといけないことは、

保身的な考え・自分中心の考え方の人がいじめは許さないと言って子どもに伝わるのか?

ということです。

「言葉は、言葉を発する人の経験や想いの全てを背負う」子どもは、言葉以上にその背景にあるものを強く感じるものだと思います。

 

【歴史から】法やマニュアルでは、いじめがなくならない

いじめに関する法やマニュアルの整備は大切ですが、

歴史を見れば法やマニュアルの整備だけではいじめはなくならない

ことは明確です。

最も分かりやすいのが、解放令。

極めて簡単に言えば、

  • 解放令が出される前→身分制度の時代
  • 解放令が出された後→身分制度の廃止・平等な社会

解放令によって平等な社会を目指しましたが、現実には、差別が現代でもなお根強く残っているのが現状です。

つまり、

法を定めた・整備したからと言って人々の意識はなかなか変わらない

ということが分かります。

ですから、いじめの学校対応や教師の対応に納得できません!【対応策を紹介】で紹介したように、いじめがあった場合、「注意をしても改善されることがなければ、退学などの厳しい措置をとります。」というのは、教師が学びを活かす思考力をもっていないと、打ち明けている様にしか思えないのです。

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本記事では、学校でいじめがなくならない理由として、2つのことを挙げましたが、もう少し深く見ていくと、学ぶことの大切さが見えてきます。

 

「自分を守りたい」という気持ちの根源は、不安があるから

先に触れた様に、だれでも「自分を守りたい」と思うものです。

この事を踏まえながらも

なぜ、退職を目前にした学校長は無難であることを目指したのか?

について考える必要があります。

はなちゃん
はなちゃん

そんなの簡単じゃん。

2200万円ほどの退職金が、なんらかの理由で減らされたら嫌だからね。

確かに、はなちゃんの言う通りですが、もしこの学校長が大資産家で、2200万円が手に入ろうが、入らまいが関係ない状態であれば、先に挙げたほど、無難な教育方針にしたでしょうか。

きっと、自分の理想とする教育方針を貫かれたことだろうと思います。

つまり、誰もが経済・社会的地位などに知らず知らず支配されている部分があるということを理解しておくことがとても大切です。

そして、この支配の様なものから抜け出すには、

自分の考えを堂々と言えるほど学ぶ

しかありません。最初から、経済的に何の悩みも心配ないという人はほとんどいませんから。

こちらの動画は、京都大学の宮沢孝幸先生の熱弁です。

こんな話をして、「仕事は大丈夫なの?」と思う部分もありましたが、そんなことは関係なく、一つの真実を話されているように感じました。

深くウィルスについて学び、実践されてきたために、ここまで熱い話ができるのでしょう。

反対に、研究や実践が適当なものであれば、熱い話にはならなかったと思います。

 

こうしたものに触れると、学ぶということは、自信をもち、本当の自由を手に入れるために必要なものだと思えるのです。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございます。

私も教師を辞める時には、とんでもない不安に襲われました。その理由は、明らかに学びの量が少なかったからだと、今になって思うのです。

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この記事を書いた人

公立小学校で15年勤務した後、退職。
現在は、アメリカ・香港・ペルー・インドネシアなどの小・中学生に日本の教育を届けている。日本の文化と住まい・暮らし方との関係を追求し、建材メーカーと共に日本の暮らしを研究している。
「なぜ、人は学ぶのか?」「学ばないといけないのか?」元教員の視点も交えつつ子育てに関する情報を発信している。

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