教師生活の中で、嫌な仕事の一つに「研究授業を行う」というものがあります。
【公務員】無駄な仕事が多い職場の実態と無駄が多い理由の記事でも紹介している通り、教師が集まり、誰か研究授業をする人を選出しなければならない場面になると、沈黙が続きます。
何としても、研究授業をしなくても良い様に死守しないといけない。
いろいろ大変だからなぁ…。
こんな想いをもっている先生が多いだろうなぁ…とひしひしと感じられます。
それでも、教師にとって研究授業は、一年に1回、最低でも数年に1度は行わないといけない仕事と言っていいでしょう。
教育実習生にとっても、研究授業を行うことは必須です。
そこで、今回は、
- 研究授業をなぜ、多くの先生は嫌うのか
- 研究授業を失敗せずに楽しく乗り越える方法
を紹介します。
私の場合は、学校現場で授業を行っている時から、情報機器を扱った授業研究・教科書を作成するにあたって必要な授業実践・学校の研究をとりまとめる研究主任などを経験してきましたので、それなりに参考になる話ができると思っています。
目次を見て、必要な箇所をお読みいただけたら幸いです。
そもそも研究授業って何?
あなたも子どもの頃に「研究授業」を受けたことがきっとあるはずです。
なんだか嫌だったなぁ…という記憶が蘇る人も多いと思います。
あのおどろおどろしい光景が「研究授業」です。
この「研究授業」の役割は、先生が先生(または実習生)の授業を参観して、
- 授業の質がどうだったのか?を評価する
- どの様にすれば、児童・生徒の学習理解が深まるのかを追究する
機会なので、非常に重要な仕事だと言えます。
教師の仕事のメインは「授業をすること」ですから、その授業の質を高めるために、努力することは、料理人の方が、腕を磨くのと同じくらい大切なことなのです。
そんな大切な仕事なのに、
どうして多くの先生が研究授業をすることを嫌がるの?
多くの先生が研究授業を嫌がる理由
私自身も教員になりたての頃は、
ので、研究授業を嫌がる先生方の気持ちもよく分かります。
その後、様々な研究に関わることになり、様々な立場の先生の声を聞く機会も増えたので、ここでは、そんな経験から、「研究授業が嫌われる理由」を整理しておきます。
ここでは、代表的な3点に絞って紹介します。
ただでさえ忙しいのに、研究授業をするとなれば仕事が増える
教員の過労については様々なところで問題視されていますから、想像がつくかと思いますが、学校現場は、激務の日々です。
研究授業をしない状態であっても、次々と押し寄せてくる学校行事の準備、提出物のチェック・採点・文書作成など、やるべきことは山積みです。
その状態で、さらに研究授業を行うとなれば、
- どの様な方針で授業を行うのか、事前検討会を開く
- 指導案を作成する
- 事前授業(他のクラスでプレ授業)を行う
- 教室内の掲示物の整理 など…
を行う必要が出てきます。
当然、これらのことは、校内(職場)で処理することはできないために、持ち帰って睡眠時間を削りながら、研究授業の準備をすることになるのです。
これが、研究授業が嫌われる原因の一つです。
ちなみに、上記で触れた「教師の過労」については、私自身、何度も勤務時間を少なく表記して提出する様に求められましたので、実態はもっと深刻だろうと思います。
詳しくは、【公務員】無駄な仕事が多い職場の実態と無駄が多い理由の記事で紹介しています。
研究授業後の評価の場(事後の会議)が辛い
大変な想いをして、研究授業の準備をしてきたにも関わらず、授業後には、授業を参観した先生方が一堂に集まり、授業の評価がされるのです。
この研究授業の評価の場の雰囲気は、学校によって大きく異なりますが、私が初めて勤務した学校では、「いじめのようだ」と感じたのが率直な感想でした。
一年を通して、一度も研究授業を行っていない年配の先生が、これまでの経験をもとに、
- 〇〇しないとダメだ
- 指導案には〇〇と書いてあるのに、なぜ授業には反映されていなかったのか
などと、言われるのは、腹が立つものです。
あるベテランの先生が、研究授業を終えられ、評価の場に向かう時に…
さぁ、授業は終わったし、まな板の鯉だ。
煮るなり、焼くなり好きにしておくれ。
と言われていました。研究授業後の気持ちを上手に表現されているなぁと感心したものです。
膨大な時間と労力を掛けた割には子どもに還元されることが少ない
研究授業を行うために書いた指導案は、一年のまとめとして冊子として製本し、外部の学校の先生方に配布することが多々あります。
こうなると、それぞれの先生が書いた指導案の表記を統一させる必要が出てきます。
ほんの一例を挙げると、
- 文末表現の統一
- 漢字の使い方の統一(子どもの思いor子どもの想いなど)
- ページ余白は規定通りか
こうしたことまでチェックする必要が出てきます。
誰もが「授業の構成やできそうな工夫を考えることが大切」と思っている中でも、こうした、作業に膨大な時間がとられるのです。
その上、出来上がった冊子を外部の先生方に配布したところで、熱心に読まれる先生は、極めて少ないのが現状ですから、「こんなことをして意味があるの?」という気持ちになるのも無理はありません。
では、これだけ嫌われ者の「研究授業」を有意義なものにするにはどうすればいいのでしょうか。
研究授業を失敗せずに楽しく乗り越える方法
ありがたいことに私が研究主任をしている時は、「研究授業をしたい」という先生が多く、すぐに年間計画で準備した枠が埋まりました。
具体的にどの様にしたのか、解説します。
これ、当たり前の様に見えますが、なかなか困難です。
ところが、
ということを理解しておけば、割り切ることも超簡単になります。どういうことか、詳しく解説します。
1度の研究授業でいい授業をする必要は全くない
何十年も教育に関わり、相当数の授業を真剣に行っても、そもそも「よし!今日はいい授業ができた」なんて思えることは、ありません。
その理由は、
- ある子どもにとっては楽しくて、よく分かる授業だったが、ある子どもにとっては、つまらなかった…ということは必ず起きる。
- 他の先生から見て、いい授業の定義が全く違う。
ですから、最初から、どの子も満足して、どの先生からもいい評価をされる授業を目指す必要はありません。
だからと言って、いい加減に取り組むという訳ではありません。
のです。
例えば、「授業の導入がどうも形式的で面白くない」と自分で感じるのであれば、
と考えて、実践してみればいいのです。
ぶっちゃけ、自分で決めた目標が達成できたなら、他の部分が全くうまくいかなくても、自分にOKを出してやればいいのです。
これを研究授業の度に、2〜3回も真剣にすれば
- 授業の導入部分の雰囲気の作り方
- 子どもが興味をもちやすいポイント
- 楽しい雰囲気をつくる技術的なテクニック
は、かなり上達します。もちろん、研究授業以外の場面でも活用できるので、子ども達は、どんどん変化していきます。
そして、ある程度、授業の導入に慣れてきたなぁと思ったら、
- 話し合いをどう活発化させるか
- 授業の終盤をどうするか
など、あらたな自分自身目標を立てていけば、授業の質はどんどん高くなっていきます。
つまり、
という見方にすればいいのです。
そもそも研究授業の「研究」は本来の研究ではない。
冒頭で、研究授業は、授業の質がどうだったのか?を評価するものと伝えましたが、問題点があります。
これまでに、様々な学校を訪問をし、授業も拝見させていただきましたが、
のが現状です。
つまり、多くの学校で、研究授業の後に、どうだったか意見交換がなされますが、先生方のこれまでの経験から、「〇〇だったと思う」という話にとどまっているということです。
もう少し具体的に言えば、
- 授業の導入は、もっとケジメをつけた方がいい。
- 授業は子どもの興味・関心が重要なので、楽しさが感じられる工夫をした方がいい。
などの意見が出ますが、どちらも経験則であって、統計的な話ではないということです。
これは、意見を述べた先生の主観であって、「ケジメをつけた方が学習の目標に達成する可能性が高い」などという根拠・データがないということです。
授業についての評価をメインに行う教育委員会の指導主事の話でさえ、統計的な根拠のある話は少ないのが現状です。
それなら、統計をとった方がいいのではないか?ということになりますが、業務が多忙なあまりに、現実には、プレテストを行い、過去の学習の定着の程度を見るくらいしかできません。
と、いうことは、周りの意見に一喜一憂する必要はなく、自分で自分の授業に評価することができれば十分だということです。
私の場合は、教科書に掲載すべき内容を検討するあたり、仮説を作り、統計的な処理をしたことがありますが、その期間は、睡眠が3時間程度になってしまいました。
要するに通常の業務をしながら、統計的な分析をしながら、授業の質を高めるということは、かなり困難なことだということです。
教科書に作成に関する話は、成績アップを狙うなら教科書を使え!【教科書レベルは最強】の記事を参考にしてください。
子どもや教師自身の技量に関わらないことは、捨てる。
その他、細かいことですが、研究の成果として冊子を作って配布するというものがあります。
ICT教育(デジタル機器を使った教育)が注目を浴びた頃は、冊子+オリジナルデジタルコンテンツCD-ROMを作って配布しよう!という流れもありました。
ところが、こんなことをしても、学校の子どもは誰一人喜ぶことはありませんから、外部の教員に向けたサービス的な取り組みは、最小限に留めました。
もちろん、管理職の先生方には、嫌がられましたが、子どもが楽しめる様に限られた労力は使いたいものです。
特に公立学校の先生方は、基本的にいい人が多いので、「あれもこれもやった方がいい」となりがちですが、軽重をつけることは、とても大切だと考えています。
公務員の無駄な仕事については、【公務員】無駄な仕事が多い職場の実態と無駄が多い理由の記事で詳しく解説しています。参考にしてください。
まとめ
研究授業は、ただでさえ忙しいのに、仕事が増える要因でもあるので嫌われる理由を解説してきました。
ただ、嫌いだかと言って、避けられるものではないし、教師として力量を上げるのであれば、避けてはいけない仕事です。
そこで、次の様なことを意識すれば、研究授業の失敗は格段に減り、充実感も増してきます。
- 研究授業の目標は自分で決めて、自分で評価をする。
- 最低でも3〜5年のスパンで「授業力」というものを捉えて自分で評価をする。
- 研究授業の「研究」は、統計的な根拠は乏しいために「研究風」と捉えておく。
これらのことを私は、若手の先生方に何度も伝えてきました。
ある面白い先生は、「朝の読書の時間に読書をさせずに読み聞かせを1ヶ月すると子どもの本に対する意識は変わるのか?」なんてことに挑戦されました。
この先生のクラスでは、面白い結果が得られたのですが、何よりもこうしたアイディアを出して、自分なりによりよい方向を探ろうとする姿勢に感激したものです。
研究って本当は、とっても面白いものではないかなぁと思います。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。
授業の導入を学ぶのに私は、落語がとても参考になると思い、聴きまくった時期があります。
今でも落語は大好きで、統計的ではないですが、落語好きな人にはいい人が多いんじゃないかなぁなんて思っています。
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